雑記

ニヤニヤ泣いている

ブログが書けない

一昔前、今で言うTwitterInstagramの感覚で各々のホームページやブログをせっせと更新して、今で言ういいねの感覚でコメントを残すという文化があった。

みんながみんな生活を、140字にトリミングしていない日常を、毎日毎日垂れ流していた。

 

いまブログを書こうとすると、どうしてもどこか身構えてしまう。何か言いたいこと言ったらな。どうせならそれなりに気合い入れて文章書かな。そうしてチョロいレポート一本分くらいのボリュームの、誰が最後まで読むねんこんなん、って代物が出来上がっていく。頑張れば頑張るほど、読まれるのもだんだん恥ずかしくなる。本末転倒だ。

 

「フォロー」「タイムライン」という仕組みがインターネットランドに組み込まれて、わざわざその人のページまで出向かなくても画面をタップするだけで情報を受け取ることが出来るようになった。別に自ら能動的に選択しなくても向こうから勝手に流れてくる。最近ではフォローすらしなくてもご丁寧に自分が好きそうな情報を人工知能がかき集めて来てくれる(余計なお世話だ)。そんな中で人間は、少なくともタイムラインの流れの中では、クリック一つで別のページに飛ぶことすら面倒になっていく。リンクを飛んだ先の長文を読むなんて、なおさら。

 

あの頃はどうやって、自分の日常を切り売りしていたっけ。好き勝手文章を書いていた気がするけれどどうしてそれが出来なくなったのだろう。みんながみんなそうしていたその安心感から出来たのかな。能動的にクリックしていかないと読めないからある程度自分に関心のある人ばかりが読んでくれていたという思い上がりからかな。それとも単に幼くて、自分の発言がもたらす影響について何も考えられていなかったからかな。分からないや。

 

読みたい人だけが読みに来てくれたらいいと思うし、事実わざわざリンクを飛んで長文に目を通してくれるなんて、ちゃんと読みたいと思ってくれる人だけが読んでくれているのだとは思う。だけど、情報の能動的な摂取が面倒くさがられる世の中で人をクリック一つに至らしめるモチベーションとして、好意からくる好奇心と悪意からくる好奇心とじゃ後者のほうが強いと思うんだよ 少なくとも私にとってはそうだ。悪意は人を動かす。だからわたしは怖い。誰かに読んでもらいたくてブログを始めたはずなのに読まれるのが怖い。悪意のある誰かに怯えている。ほんとうにどれだけ自意識過剰やねんって思うけど、みんながみんなわたしみたいに性格が悪いわけではないのも分かっているけど、それでもどうしようもなく怖いんじゃ。

 

 

ところで昨今の女子高生は非常にネットリテラシーがなっていますね。スクリーンショットを撮られるとまずいから大事なことは直接言うらしい。なんだそれ。仕事柄、高校生のTwitterなんかを見ることもあるのだけれど、誰それのお誕生日とかお友達カップルの記念日おめでとうとか当たり障りのないことしか書いていない。10代ってもっとグロいものだと思ってたけど彼ら彼女らはちゃんと清潔で非常に頭がよろしい。公開アカウントだからか?でもわたしが中高生だった頃は思いっきり自らの性生活を全世界公開型ワールドワイドウェブに垂れ流してる奴がたくさんいたぞ。

単にインターネット文化がある程度発達してから彼らはそれを手にしたからってこととか、やさぐれたギャルよりも真面目な清楚系の方がイケてる時代だってこととかもあるのだろうけど、SNSの台頭で「見せる」ことよりも「見られる」ことに自然と比重が置かれるようになってきたのと関係してるのかな〜なんて思う。それとも確証バイアスがかかってるだけで大して変わってはいないのかな。… また、そうやって、逃げ道を作る。

 

 

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は〜ほんとうは不倫のドラマの山崎育三郎が最高って話をしたかっただけなのにどうしてまたこんなふうになってしまったかな。しかも山崎育三郎のドラマ(山崎育三郎のドラマではない)やってたの一昨日やしな。これ書くのにどれだけ時間かけてるんって話な。まあこの記事で何が言いたかったかというと山崎育三郎が最高ってことだけなので。さて今日も仕事頑張るぞ。