雑記

ニヤニヤ泣いている

喜怒哀楽とエネルギー源

 

 

ここ最近、嬉しい出来事が続いている。

 

 

 初めて行ったGRAPEVINEのライブが滅茶苦茶に格好良かったり。

恋人の就職が決まったり。

昔教えてた塾の生徒に偶然会ったり。

 大好きなバンドの全国ツアーが決定したり。

(16公演もやっちゃって大丈夫なのかな!?身体壊さないかな!?と余計な心配もしている)

 

とにかく珍しく嬉しい気持ちを続けて感じることが出来て、なんだかホクホクしてしまった。

 

 

 ...

 

 

ちょっと前に友人との間で、"喜怒哀楽の何をエネルギー源にするか"みたいな話で盛り上がったことがある。

 

わたしの場合はたぶん、怒ではない。喧嘩するより謝る方がいい(引用元:)マインドだし。論理と配慮が圧倒的に足りていない人が大きな声で支離滅裂な理屈を並べているときなどはものすごく憤りを感じるけれど。幸い頭と気が弱く生まれついたのでそれなりに他人と揉めずに生きていられてるけど、もっと賢くて気の強い人間に生まれていたら「はい論破!」が口癖の戦闘民族になっていたのではとたまに思う。…あれ、自分案外怒りをエネルギーにしてるタイプか…?でも普段の生活で"怒"を感じることってあんまりなくて、ただただ虚無に変換されるだけだ。全てがどうでもいい。喜虚無虚無哀楽虚無。そんな感じ。

 

 

わたしのエネルギー源は哀と喜の部分なのかなあ。まあそもそもエネルギー自体の絶対量があまりない気がするのだけど。

哀しみをバネにして、なんて強い心の持ち主でもないけれど、自分に対するネガティヴな感情を慰めたいっていう気持ちはこれまでの人生でずっとモチベーションの核を為してきた。それに、どちらかといえば過程の楽しさよりも結果を出す嬉しさに、自分自身の楽しみよりも他人から認められたときの喜びに、悔しいけれど支えられてきた部分があるから楽よりも喜なのかなあ、なんて思ったりする。

 

 

...

 

 

普段は感情の起伏が全然激しくない(実際そうでもないけれど)と言われがちだし、自分の気持ちにいちゃもんをつけまくって結果正直な感情が分からなくなってしまいがちなのだけど、それでも本当に純粋に「喜」を感じることがわたしにもある。

 

頑張ってた誰かの努力が報われたとき。誰かの成長を目にしたとき。自分ではない誰かの目が、目標を見つけて輝き出したとき。好きな人の色々が上手くいきはじめたとき。

 

…言葉にしてしまうと本当に嘘くさくて、ゲラゲラ笑いながら鼻フックしてブン殴りたくなってしまうのだけれど、これは承認欲求みたいな利己的な感情ではないわたしの心の中の数少ない純粋な部分で、貴重なエネルギー源なんだと思いたい。

こんな気持ちを味わいたいから塾でのアルバイトや今の仕事を選んだ感もあって、どれだけ自己満足な動機なんだよ…って感じですが。

 

 

...

 

そんなこんなで先日、昔の教え子に再会したときなんかはとても嬉しかった。彼女は現在大学生になって同じ塾で英語を教えているらしくて、彼女の成長、なんて言ったら烏滸がましいのだろうけど、なんだか感慨深いものを感じてしまった。彼女と別れた後もニコニコしながら家に帰った。エネルギーをもらった、って確かに思えた。

 

 

きっとわたしの乏しい表情筋じゃこの気持ちは伝わらなかったけど、せめて文字にして残しておきたい。な。