雑記

ニヤニヤ泣いている

ただの日記 (あるいはカースト制度と大人になることの楽しさ)

先日本棚を整理していたら、

いつかの学校生活のクラスの思い出を記録したDVDが出てきた。

 

あ〜こんなんあったんや懐かしいなあと思って見てみたのだけれど、球技大会も体育祭もマラソン大会も出来る限り補欠の座を手に入れていたクソの私が思い返されてしまった。やる気無さすぎだろ。マラソン大会の1位、1000メートルもロクに走れない私は「走らない」という選択によってばっちりクラスに貢献できていたと思うので許して下さい。

 

 

まあそんなことはどうでもよくて、

 

 

こういうものを見ていると、

結構仲良し感を出していたクラスでも誰とも群れない人がいたのを思い出す。

虐められてるとか、無視されてるとかじゃなくて、孤高をつらぬいてたタイプの人。

多分、私の記憶ではそういう人たちの中には行事とかにも出てなかった人もいたんじゃないかな。

 

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思春期の私はやる気ないなりに"学級内でのそれなりのポジション"が欲しくて、まあ私のそれは頑張ってみようとしたところでインドのカーストでいうヴァイシャ(4つの階級のうちの3番目のやつです)ぐらいなんだけど、最下層のシュードラには、まして三角形の底辺にすらなれない不可触民にはなるまい、って思ってた。今思うと死ぬほどくだらないしそういうことに拘ってたのももう死ぬほどダサいんだけど。書いてるだけで恥ずかしい。

 

 

…だからそんな、自意識とか承認欲求とか そういう思春期特有のくだらなさをちゃんと乗り越え(られているように私には見え)た彼ら彼女らのことは尊敬していた。私は一人でいること自体は平気でむしろ大して好きでもない人と一緒にいるのより一人でいた方が500倍くらい楽なんだけど、学校っていう閉鎖的な空間で"独り"でいる人として認識されることはまあまあキツイものがあった。たとえ大して楽しくなかったとしても球技大会楽しかった♡修学旅行楽しかった♡◯組最高♡って言える側の人間でありたいと思っていた。

だからすごいよ。彼ら彼女らは本当にすごい。カースト制度の三角形とは全然別の次元にいたんだもの。私は学校独特のその身分制度を疎ましく思いながらも結局は自分もそれに毒されていて、三角形の辺の中に居続けるしかできなかった。

 

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ところで大学に入ったらクラスみたいなものがなくなって、ぼっちの対極の存在、スクールカーストバラモンとかクシャトリヤみたいな人に対する"ウェイ"なんていう侮蔑の言葉も台頭してきて、色んな意味でかなり楽になった。ぼっち飯も余裕だった。(これ総合大学の特権ですかね?同じメンバーで同じカリキュラムに長い時間一緒に取り組まなきゃいけない種類の学校だったらまた違ったのかな?)

 

中学校とかでも、"一人でいることは別に寂しいことじゃない" "クラスは単なるバラバラな人間の集まりであって別にみんなで仲良くしなきゃいけないものじゃない" "同じ集団の中で無理に友達を作る必要などない" "修学旅行は別に行かなくても良い" "地味で大人しい子をどことなく下に見るのは死ぬほどダサい"って風潮が定着したらいいのに。多分もっと楽になる子はたくさんいる。

 

思春期のくだらなさ。子供社会特有の窮屈さ。そんな呪いがどんどんなくなっていくから大人になっていくのは楽しいです。でも大人の世界にもそういう呪いが根強く残ってる場所はあるのかな。だったら私が居心地が良いと思える環境を勝ち取ってきた自分を褒め称えてあげたいし、そもそも環境を自分で選んでいける自由があるっていう時点でやっぱり大人はサイコーだよ。うん。本当に。

 

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まあ学校生活に対して冷めた目線で物事を書いてしまったけれど、別に学校が嫌いだったわけではなくて、高校生に戻って体育祭のときに教室でのんびり涼んだり(やっぱりやる気はない)、テスト週間に放課後に残って勉強しつつ集中力が途切れて友達と自販機にコーンポタージュを買いに行ってとりとめもない話をしたり、そんなことをまたしたいなあとはわりと結構頻繁に思ったりします。……そういうところな!ちなみに義務教育には死んでも戻りたくはない。

あ、冒頭のDVDは本当に普通に懐かしくてほっこりしました。写真たくさん撮っててくれて先生ありがとうございましたです。それでは。