雑記

ニヤニヤ泣いている

雑感

・インスタ映えって言葉にもにょもにょする。

より正確に言えば、インスタ映えを馬鹿にする風潮にどこか窮屈さを感じる。

綺麗な写真を撮るって趣味として成り立つことだと思うし、自分の撮ったものって誰かに見てもらいたいし、あわよくば賞賛されたいって欲は別に普通じゃないのか。インスタ映えを最優先させた結果人に迷惑をかけたりモノを粗末にしてしまってる人たちのことは一先ず置いておいて、一般的なインスタグラマーを過剰に叩く必要はあるのか。それで経済も回ってるんやし別にいいのでは…。

まあそうは言っても集客の為に「インスタ映え」って言葉を使うのはわたしが集客する側なら謎のプライドが許さないと思う。それは目的ではなく結果であってほしいし、百歩譲って目的とするにしても手段にはしてほしくないし、手段にするのであれば言葉にしたらあかん概念やろ、とも思う。うん。だってそんな言葉で釣られるの馬鹿にされてる感が半端なくないですか。お前らどうせこういうの好きだろ〜みたいな。

承認欲求の塊の人間のことはわたしも散々馬鹿にしてきたけどそれはきっと同族嫌悪からきてたんですわ。自意識でがんじがらめになって目糞鼻糞を笑う状態に陥ってるよりも、馬鹿みたいな顔して自分の欲求に素直になったほうがまだマシだしダサくないやろって思います。わたしはこれからもインスタ映えする可愛い飲食物が好きだしツイッター映えする適度な不運や恥ずかしエピソードに見舞われたらここぞとばかりに呟いてしまうよきっと。くだらないなんて分かっているけれど。

 

 

・おかずクラブのオカリナがテレビで「告白なんてしたことがない。みんなすごい」「(好きって気持ちをどう処理してるの?と聞かれ)好きじゃなくなるまで好きで…」って言っていたらしくってめちゃくちゃ共感した。別に恋愛に限らずあらゆることが私にとってはそうで、なんとなく自己処理して自然に消えていくのを待つだけだ。拒絶されるのが怖いっていうのもあるのだろうけどそもそも自分の欲望が実現されることを強く望んでない、自分の欲望には実現させたいと願うほどの価値はないと考えてしまっているのだと思う。オカリナもそうだったのかな。笑うシーンだったみたいだけど、なんだか色々考えてしまうな。

 

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謎の二本立てみたいになってしまった。

今日も有給です。最高か。

23才の夏休みも終わってしまった僕らは

24才になった。

 

"◯◯才になったら、今度こそこうしよう"って毎年思い続けてはや24年。それもだんだんどうでもよくなって、ひとつ年をとったからどうにかなれるなんてことはなくただ24才になったいつものわたしがいるとしか思わなくなった。

 

23才のスタートは結構ドン底で、自分はどうしてこんなに頭が悪いのだろう、人に気が使えないのだろう、社会不適合なのだろう…って本気で思っていて、仕事がしんどかったな〜っていうのを覚えている。まあそれから1年、曲がりなりにも労働に対する精神状態の前向きな変化や不文律的な地位の向上もあって、結構頑張った方なのではないでしょうか、わたしとしては。

 

とはいっても24才になったところで変わらず昼夜の滅茶苦茶な生活を送ってしまってるし、無意味なネトストはやめられないし、思い込みは変に激しいし、何年も前のことをほじくり返しては勝手に落ち込んでしまうし、思春期の頃から変われていない部分も多々あるなあ。アラサーになっても四十路になってもおばあちゃんになっても陰湿ネットサーファーやってんのかな。更年期もくるだろうし、ゾッとするな。

 

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本来の意味で山無しオチ無し意味無しの文章だ。最近は結構ずっと元気なのでブログが書けません。クリエイティブなんて大それた言葉を使うのは憚られるけど、負の原動力がないときに何かを生み出すのは素人のわたしには難しいようです。

 

まあ24才になった記念に。四捨五入したらギリギリハタチ、気を張らず適当に生きてくぞ。

The seventh night of July

どうやら今日は七夕らしい。

 

中学高校と吹奏楽部員だった身としては、この曲を思い出す。

 

酒井格のたなばたは、たしか高校1年生のときにお隣の高校と合同で演奏したんだっけ。

その高校にはトランペットがとっても上手いギャルの先輩がいて、いつも惚れ惚れしていたのを覚えている。

 

"ホムペ" 文化最盛期だった当時、ギャルの先輩のホムペも見つけて、"リアル"も読ませてもらったことがあった。

ある日の投稿に「こっちがどれだけ努力をしているのかも考えずに、あなたに吹けない人の気持ちは分からないなんて言わないでほしい」みたいな内容が書いてあって、それはお話ししたこともない方の、ごくごく私的なつぶやきだったのだけれど、なんだか後頭部を殴られたような気持ちになったなあ。

 

別に楽器に限らず自分よりも上手くいってる人がしてきた努力を蔑ろにしてしまい、まるで初めから結果があったかのように思ってしまうの、わたしの悪い癖なんだと思う。今ならそんな思考回路がいかに愚かかよく分かるよ。

 

 

どうでもいい話だけれど、その高校の定期演奏会にいった日に自身のブログでギャルの先輩が素敵だった旨を書いたらご本人からコメントをいただいてビビり倒したことがあった。インターネット怖い。と言いつつまたブログに書いてしまってるね。すみません。

 

明日は久しぶりに高校時代の部活の先輩に会えるのでなんとなくいろんな事が懐かしくなったとさ。家帰って床で寝て残り物のカレー食ってのロマンチックのかけらもない七夕の夜だったけれど、織姫と彦星は逢えてるとよいですね。おやすみなさい。

イチゴのミルクセーキと精神論の話

就職するちょっと前くらいに始めたボールペン字の通信講座の受講期限が迫っているらしく、「追加でお金を払って期限延長して、ちゃんと修了しましょう!」という内容の案内が届いていた。ご丁寧に"至急開封してください"のハンコ付きで。

「諦めないでください」「もう一度私達と頑張りましょう」ーー優しい口調の文章に、自分の悪いところをまざまざと見せられているような気がしてしんどくなる。とりあえず開封したけれど、きっと入金期限が過ぎるのを待って、それからそっと捨てるのでしょう。わたしは、そういう人間だ。

 

 

以前仕事で一緒になった主婦の方と、「通信教育をきちんと出来るような子は通信教育がなくてもきっと結果が出せますよね」という話をした。通信教育のパラドックス

わたしは完全に通信教育が向いていない側の人間(向いている向いていないというか、単にだらしない人間だ、というだけなんだけど)で、◯会を溜めに溜めてやめてしまった。積み上がっていく教材の山は、自分の駄目人間さのバロメーターのような気がしてしんどかった。

 

その後わりとオラオラ体育会系の塾に通うことになったのだけど、1日20分で済む通信教育よりも、夏休みに毎日部活の合間に通う夏期講習の方が、必勝ハチマキを頭に巻きながら毎朝叫ばされる夏合宿の方が、ずっと楽だった。自分の駄目さを直視しなくて済むから。自分がちゃんと頑張っている側の人間であるような感覚を味わえるから。数学分かんねえな〜と言いながらそれなりに頑張った(気になれた)授業終わりに飲む、自販機で買うイチゴのミルクセーキが美味しかった。

 


まあ事実塾の授業はクオリティが高くて面白かったし、先生たちの事もとても信頼していたし、塾自体は精神論オンリーの場所では決してなかったと断言できる。でも、もしこれが精神論だけの場所だったとしても、自分の怠惰さをごまかすためにとりあえず分かりやすくしんどい思いを出来る場所に安住してしまうっていうのはあるかもしれないな。普段はそれを忌み嫌ってるかのごとく振舞っているけれど、案外わたしは昔ながらのブラック企業のような思考と親和性が高いのかもなあ、なんて考えたりもする。そういう場所とは程遠い職場で働けている故の思い上がりだとも思うし、幸い(?)「辛い思いをしただけで報われると考えるのは甘い」というのを身を以て経験してきたから冷静な判断を下すことも出来るけれど。

 

自分の無能さを隠すのに根性論は都合がいい。とりあえず、がむしゃらに努力してる錯覚に陥ることが出来ればいいのだから。汗をかいて泥臭く頑張っていることが免罪符になる世界は、みんなが共通のしんどさを味わって一体感を得られた気になれるような場所は、ある意味ではとても優しいのだろう。

 

 

ところで就職活動をしてた頃に、わたしが昔溜めに溜めてやめた◯会の選考を受けたことがあった。グループワークをしてるときに「通信教育ってなかなか続かないですよね」なんて話になったのだけど、その中の一人が「信じられない、わたしは◯会が楽しくてしょうがなかった」と言っていた。わたしがどんなに努力ごっこをしても届かないような大学の子だった。ああ、わたしはこの子には一生勝てないんだろうな。その選考がどうこう、就活がどうこう、学歴がどうこうという直接的な話ではなく、もっと根本的な部分で。純粋に好き、楽しいという気持ちで夢中になれる人間に、わたしのような努力してるフリをするのが好きなだけの人間が敵うわけはないのだと感じた。ちなみにその会社の選考に、わたしはあっさり落ちた。

 

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余談だけれどある日塾内の自販機からジュース類が全て消えて、飲み物のラインナップがお茶と水だけになったことがあった。先生にこれどうしたんですか(笑)って聞いたら「うちの塾の生徒がイチゴのミルクセーキとか飲んでたら駄目でしょう、もっと硬派にいかないと」と言われたことがあって死ぬほどウケてしまった。どこまで本気か分からないので体育会系は怖い。クソ野郎のわたしはテスト前には近くのコンビニでゲロ甘い飲み物を買って自習室にこもるようになった。

 

さて、ボールペン字講座どうするかな〜。いっそスクーリングでスパルタ指導とかしてくれないかな、そしたらきっと通うから、イチゴのミルクセーキみたいな甘ったるい飲み物買いながら。ね。

ただの日記(あるいはハッピーハーブについて)

三度寝くらいして、昼過ぎに起きた。

気分があまりよくなかったけれど今日こそ美容院に行こうと決意していたのでエネルギーを振り絞って予約の電話をかけた。あとなんかムシャクシャしてたからキッチンの排水口の掃除をした。時間指定してた宅配便が来たけどヨレヨレの寝間着と寝起きのままの顔で受け取ってしまった。

 

ホルモンバランスのせいなんだろうけど昨日くらいからやけに気分が落ち込んだりイライラしたりしてしまう。先日聞いたあまりにも身勝手な他人の愚痴やそれをずるいやり方で間接的に説教してしまった自分やわたしが感銘を受けた大学の広告を引っ張り出してその大学のことを(何も知らないくせに)面白半分でディスっていた意識高い系大学生や床に落ちてる髪の毛や、とにかく全てのものに腹が立つ。そしてそんなことで腹が立つことに落ち込む。負のスパイラルだ。

 

人間の性格というものは固定されたものであり、また人間が落ち込むときには何か明確な原因があって落ち込むのだという錯覚を人はしてしまいがちだ。だから若者が自殺したってニュースで「◯◯くらいで死ぬなんて心が弱い」などと言われてしまうのだろう。

だけどほんの少しのホルモンバランスの崩れで人の性格なんて簡単に変わってしまうし、落ち込むときっていうのはわたしの感覚では例えるならお腹を下すのと一緒だ。たぶん何らかの短期的あるいは長期的な原因はあるのだろうけど何がきっかけになったのかはよくわからん、とにかく急にお腹痛くなってどうしよ〜しぬ〜トイレ〜〜みたいな。もちろん急に冷たいもの食べたから腹壊したとか、そういうね、パターンもありますけど、なんか分からんけど調子悪いわ〜って時のが少なくともわたしには多いんですわ。アイスとか辛いものとかガンガン食べちゃうけどそういうのはむしろ平気で。これ心にも同じことが言える。直接的っぽい原因にはたぶんわりと人並みには強いけどなんか知らんが調子悪いわ、ってことがちょいちょいある。厄介だな。

 

ところで先日メンタル系のサプリメントの存在を知った。ハッピーハーブで前向きに!みたいな明らかにヤバそうな謳い文句がついてるんだけど有名メーカーのものだしそんなヤバいものでもないのかな、心を外部から取り込む物質でどうにかするって怖いな〜と思うけどホルモンバランス一つで性格が変わってしまうのだしそれも合理的な方法なんだろうなと思った。500円というお手頃な値段だし、好奇心がめちゃくちゃ湧いてきてしまったので父の日の贈り物のついでにamazonで注文してみる。娘がこんなサプリメントをネットで頼んでるって知ったら父親は悲しむだろうか。まあでもとにかく、話の種になりそうだし、ブログのネタに使えそうだしってことで注文を確定させる。購入の動機が完全にYouTuberだ。ブンブンハローユーチューブ。

 

…というわけで今朝D◯Cさんのセントジョーンズワートが届いたんだけど、色々調べてると副作用が人によってはあったりするらしくて飲むのが怖くなってしまった。し、お洒落メンヘラ女はセントジョーンズワートが好きみたいな書き込みも見てちょっと抵抗も湧いてきた。

とりあえずこのあと美容院行くのに万が一体調悪くなったりしたらたまんねえなってことでサプリメントは飲まず重い身体を引きずって市バスに乗り込む。行きつけの美容院の、お馴染みの美容師さん(出身大学が一緒ということもあってずっと仲良く?してもらっている)とお話して、久々にパーマをかけてもらって、待ち時間に美味しいドライフルーツティーを飲みつつGINZAという雑誌で嘘みたいな本当の恋の話を読んで、帰り際に美容院の15周年記念のおせんべい(スタッフさんの似顔絵がプリントされているかなり食べにくい代物)を貰って、隣のショッピングモールでロレッタの可愛いヘアムースを買ったら気分はだいぶ明るくなった。

とりあえず今日は別にセントジョーンズワートはいらないや。わたしはYouTuberにはなれないな。

 

 

ブログを書いていたらこんな時間になってしまったけれどちょっとだけ綺麗になったキッチンでばんごはん作って食べて寝よう。明日もきっと落ち込むことはあるだろうけど無意味な憂鬱は仕事で洗い流していくぞ。

 

あ、最後に嘘みたいな恋の話を貼っておきます。

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おやすみなさい。

ブログが書けない

一昔前、今で言うTwitterInstagramの感覚で各々のホームページやブログをせっせと更新して、今で言ういいねの感覚でコメントを残すという文化があった。

みんながみんな生活を、140字にトリミングしていない日常を、毎日毎日垂れ流していた。

 

いまブログを書こうとすると、どうしてもどこか身構えてしまう。何か言いたいこと言ったらな。どうせならそれなりに気合い入れて文章書かな。そうしてチョロいレポート一本分くらいのボリュームの、誰が最後まで読むねんこんなん、って代物が出来上がっていく。頑張れば頑張るほど、読まれるのもだんだん恥ずかしくなる。本末転倒だ。

 

「フォロー」「タイムライン」という仕組みがインターネットランドに組み込まれて、わざわざその人のページまで出向かなくても画面をタップするだけで情報を受け取ることが出来るようになった。別に自ら能動的に選択しなくても向こうから勝手に流れてくる。最近ではフォローすらしなくてもご丁寧に自分が好きそうな情報を人工知能がかき集めて来てくれる(余計なお世話だ)。そんな中で人間は、少なくともタイムラインの流れの中では、クリック一つで別のページに飛ぶことすら面倒になっていく。リンクを飛んだ先の長文を読むなんて、なおさら。

 

あの頃はどうやって、自分の日常を切り売りしていたっけ。好き勝手文章を書いていた気がするけれどどうしてそれが出来なくなったのだろう。みんながみんなそうしていたその安心感から出来たのかな。能動的にクリックしていかないと読めないからある程度自分に関心のある人ばかりが読んでくれていたという思い上がりからかな。それとも単に幼くて、自分の発言がもたらす影響について何も考えられていなかったからかな。分からないや。

 

読みたい人だけが読みに来てくれたらいいと思うし、事実わざわざリンクを飛んで長文に目を通してくれるなんて、ちゃんと読みたいと思ってくれる人だけが読んでくれているのだとは思う。だけど、情報の能動的な摂取が面倒くさがられる世の中で人をクリック一つに至らしめるモチベーションとして、好意からくる好奇心と悪意からくる好奇心とじゃ後者のほうが強いと思うんだよ 少なくとも私にとってはそうだ。悪意は人を動かす。だからわたしは怖い。誰かに読んでもらいたくてブログを始めたはずなのに読まれるのが怖い。悪意のある誰かに怯えている。ほんとうにどれだけ自意識過剰やねんって思うけど、みんながみんなわたしみたいに性格が悪いわけではないのも分かっているけど、それでもどうしようもなく怖いんじゃ。

 

 

ところで昨今の女子高生は非常にネットリテラシーがなっていますね。スクリーンショットを撮られるとまずいから大事なことは直接言うらしい。なんだそれ。仕事柄、高校生のTwitterなんかを見ることもあるのだけれど、誰それのお誕生日とかお友達カップルの記念日おめでとうとか当たり障りのないことしか書いていない。10代ってもっとグロいものだと思ってたけど彼ら彼女らはちゃんと清潔で非常に頭がよろしい。公開アカウントだからか?でもわたしが中高生だった頃は思いっきり自らの性生活を全世界公開型ワールドワイドウェブに垂れ流してる奴がたくさんいたぞ。

単にインターネット文化がある程度発達してから彼らはそれを手にしたからってこととか、やさぐれたギャルよりも真面目な清楚系の方がイケてる時代だってこととかもあるのだろうけど、SNSの台頭で「見せる」ことよりも「見られる」ことに自然と比重が置かれるようになってきたのと関係してるのかな〜なんて思う。それとも確証バイアスがかかってるだけで大して変わってはいないのかな。… また、そうやって、逃げ道を作る。

 

 

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は〜ほんとうは不倫のドラマの山崎育三郎が最高って話をしたかっただけなのにどうしてまたこんなふうになってしまったかな。しかも山崎育三郎のドラマ(山崎育三郎のドラマではない)やってたの一昨日やしな。これ書くのにどれだけ時間かけてるんって話な。まあこの記事で何が言いたかったかというと山崎育三郎が最高ってことだけなので。さて今日も仕事頑張るぞ。

 

 

ナイトライダー

ロックバンドの曲名をブログの記事のタイトルにしちゃうの、23才になってまで懲りずにやってしまうとは思わなんだ。

 

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銀杏BOYZナイトライダーを聴いていた。

 

やんなっちゃうな。しょっぱくなっちゃうな。suicideしちゃいそだな。

 

久々に聴くこの曲は外の空気と相まってエモーショナルが過ぎて、わたしは阪急のホームで一人でニヤニヤしてしまって完全に変質者でしたありがとうございます。

 

 

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銀杏BOYZというバンドが好きだった。

今でも別にちゃんと普通に好きだから、過去形で表すのは少し不適切なのかもしれない。

 

でも23才にもなってやっぱり、15の頃のそのままのテンションで聴くことはできないから、過去形の方がしっくりくる。

大槻ケンヂの言葉でいうところの"自己嫌悪のマントが空から舞い降りてくる"みたいな感じもめっきりなくなったし、アイヘイトマイセルフ アンド アイウォントゥーダイ とか別に思わなくなった。suicideしとうない。全然死にたくない。あれちょっと嘘かも。でもまあ、あいつらが簡単に口にする100回の愛してるなんかよりも大学ノート50ページにわたってあの子の名前を書いてるほうが、なんて思わなくなった。別に当時もそんなことをしていたわけではないけれど。

 

 

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最近、ミスチルの桜井さんが「日常が幸せだけだったら音楽なんか聴かない、みんな何かしらあるから音楽を聴くんだ」というようなことを言っていたらしい。

 

あ、やっぱりそうですよね。

 

ミスチルミスチルのファンの層の方々が言うところの「何かしら」とは少し毛色が違うのかもしれないけれど、確かに何かしらあったから銀杏BOYZを聴いていた。音楽に優劣をつける気はさらさらないが綺麗なJ-POPでは癒されなかったぐちゃぐちゃした気持ちを銀杏BOYZの汚くて過激で純粋な曲たちは洗い流してくれた。

 

 

初めて銀杏のアルバムを買った頃、

「あ、音楽にこんなあからさまな言葉使っちゃってもいいんだ、死にたいとか殺すとかも言っちゃっていいんだ」ってびっくりしたのを覚えている。

 

それは中学生特有のアングラ的なモノへの憧れだったり、顔面偏差値48くらいの特に何も取り柄のない没個性女子にありがちなサブカルチャーへの傾倒だったりしたのかもしれない。しれないけれど、でも確かに、銀杏BOYZに関しては他とは違う自分を演出するためのアクセサリーとしての音楽鑑賞じゃなかった。例えるなら正露丸。わたしにとって銀杏BOYZ正露丸だった。臭いけど、まじでくっさいけど、心の下痢にちゃんと効くの。

 

 

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ナイトライダーとか、この年で出会ってたら普通に少しこじらせた綺麗な歌だな、で終わってたんだろうか。どうだろ。

しょうもない写メールを撮って君に送っても、もう23才だからちゃんと眠れます。おやすみなさい。