雑記

ニヤニヤ泣いている

0619

SNSの発達で人との別れというのがとてもぼんやりしたものになったなあと思う。

 

知り合いはぼちぼちいても友達は別に多くない人間だから「今なにやってるのかはふわっと知ってるし特に個人的な連絡はとらないけれどSNSで軽いやりとりはたまにすることもある、まあ同窓会とか、道端で偶然会うとか、そういう何かしらの機会があれば会うのかもしれないけどそれがなければわざわざ会うことは一生ないであろう人」というのが多過ぎる。

この先わざわざ会うことは一生ないであろうっていうのはつまり、じゃああれがあの人と会うの人生最後だったのかもって後から考える。なんとなく不思議な感じ。

 

同時にSNSがある限りふわっと交流が続いていくのかななんて淡く思ってた人たちも、プラットフォームそのものが廃れたりアカウントを消したりしたら(当たり前だけど)ぼんやり途切れていってしまったなと。

 

今わざわざ連絡なんてとったらマルチの勧誘で行き詰まってるのか?って思われそうなくらい疎遠になってる人だらけだけど、なんとなく、ちょっとでも会いたいなーって人にはやっぱりぼんやりしたツールではなくリアルで会っておきたいよなあなんて。もう会わないからこそエモい関係性というのもあると思うけど、特定の時期にわりと濃いものを共有した人と、SNSがなくなったらおしまいなんて関係ってやっぱり普通にちょっと寂しいよなと。

 

配信を止めるのがめんどくさくって未だにわたしのもとにくるmixiの誕生日のお知らせメールに一斉開封するためのチェックをつけながらそんなことを思う。

 

 

・どうせただのウェイ系大学生やったんやろな(大悪口)と思っていた会社の後輩とひょんなことから意気投合して、いま会社にいる人たちとはこんな話できないやろなって思ってた話をしまくってゲラゲラ笑いながら車で会社まで帰れて嬉しかった。会社の人たちのこととても好きだけど別に深く仲良くはなれない気がするし素を出すこともないんだろうなって思ってたんだけどそうでもなかったっぽい。多分後輩もわたしのことこんな人間やと全然思ってなかったと思うしやっぱり人ってちゃんと喋ってみないとどんな人かわかんないなーと思いました。(小学生並みの感想) 

 

なんというかこれはわたしのほんと悪いところなんだけど、木を見て森を推測してしまうような、人の断片的な部分を観察しては本質を見抜きたくなってしまうような、そしてなおかつ色んなことカテゴライズして(わたしは雑なカテゴライズされたらかなりいやなことも多いのに)悦に浸ってしまうような、そんなとこがあるから、なんかまあ、気をつけんとね。とても。自分の辞書に紐付けず、自分の色眼鏡を通さず、常に個人そのものを見る、って大切にしたいことのはずなのに思ってるよりもめちゃくちゃ難しいから意識しつづけなきゃな。

まあとにかく昨日は思いがけず最高だったという話。

 

 

 

19時なのに明るくて気温もほどよくって嬉しいな。おしまい。

雑記

・知らないJKのツイートで古傷がえぐられて泣きそうになったというかちょっと泣いた。笑える。もうすぐ26やぞ。なに女子高生に泣かされとんねん。

 

できないなら努力しろよみたいな言葉、きっと言われる側は他人に言われる以上に自分に言い続けてるよ。

でもできる側の人間は才能に加えてそれなりに努力もしてきた人たちだから、いつもこういうことを思ってしまいがちなんだよな。

 

頑張らなくても人より上手くいってたこととそこに甘えて頑張らなくなって結局大したことなくなってしまったことと頑張ってなんとか人並みくらいにはなったことと最初は上手くいくと思ってたのにダメになっちゃったこととそのダメになっちゃったことちゃんと決着つけたくて頑張ってみても全然上手くいかなかったことと頑張りたくもないほどできなかったことと わたしはいろんなパターン経験してきたと思うからいろんな立場の人のこと分かれてるって思ってるはずなのに(傲慢か?)一歩間違ったらわたしもこういう傷付け方をしてしまいそうだなってことにもゾッとする。気をつけたい。

 

 

・こないだ書いてた素敵やんって思った広告会社のうちの一つが最近キャンペーンを始めたんだけど、あっこんな感じなん…?えっ今の時代にこれやるん結構マズくない…?とガッカリしてたら案の定炎上してた。色んな意味でかなしい。一瞬でも転職したいと思ってごめんといまの会社に心の中で謝った。色々ダサくてもはや愛おしいけど会社の人たちのことやっぱり好きだしわたしここで頑張るわ。

 

 

・"あいつらが簡単にやっちまう30回のセックスよりも 「グミ・チョコレート・パイン」を青春時代に1回読むってことの方が 僕にとっては価値があるのさ"って歌詞にわたしはいつまで強く頷き続けるのか。もうすぐ26やぞ(2回目)

お前の前世絶対童貞やろって恋人には笑われるけど、いい歳こいて純情こじらせてるというか変なとこ潔癖で夢見続けてる自分痛いかなって思うけど。わたしが思春期に崇拝してた峯田もなんだかお洒落サブカルおじさんになってしまったしこの前なんか(ドラマでとはいえ)石原さとみとチューしてたし結構ショック(石原さとみへの嫉妬とかでは決してなく仲間意識を抱いてた人が遠いところに行ってしまったような、一緒に敵対心を抱いてたはずの人間になってしまったような感じ)なんだけど多分まだしばらくはあ〜ってなったときに聴くのをやめられないと思う。

 

 

そんなこんなでなんとなく凹んでたんだけどこの世でいちばん好きなバンドが久々にツアーするのとなんとなく聴いてたライドのアルバムがバキバキに好みなのとで元気出たしブログ書いてたら色々和らいだ。音楽と文章にしか寄りかかれないわけじゃないけど音楽と文章にすっきりさせてもらえることは多い。

ごはん食べないままお風呂入らないまま見てるドラマが始まる。これ見たらちゃんとせなね。

愛がなんだ

先日出町座で「愛がなんだ」を観てきた。

後から後からじわじわ効いてきてもやもやしてるから感想でも書く。

 

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わたしが愛だとか恋だとかそういうもの(自分が関わっているもの、というよりももっと大きな概念として)に無条件に幸せなイメージを抱けないのは、恋愛感情を含む関係って上下関係というか歪なパワーバランスみたいなのをどこかしらに孕んでいる場合が少なからずあるからなのかなと思う。(自己肯定感低めな人間特有の偏見かもしれないし、幸せな恋愛というのもちゃんと知っているけれど)

 

「愛がなんだ」はまさにそんな微妙なパワーバランスを、それも同じ人間でも相手やそのときそのときの関係性によって立場はころっと変わってしまうのだということを、物事を客観的に見ることができてるはずの人間でも自分のこととなると何故かひどいことも簡単にしたりされたりできちゃうんだということを、絶妙な塩梅で描いてた。

 

 

 

ーー猫背でひょろひょろのマモちゃんに出会い、恋に落ちた。その時から、テルコの世界はマモちゃん一色に染まり始める。会社の電話はとらないのに、マモちゃんからの着信には秒速で対応、呼び出されると残業もせずにさっさと退社。友達の助言も聞き流し、どこにいようと電話一本で駆け付け(あくまでさりげなく)、平日デートに誘われれば余裕で会社をぶっちぎり、クビ寸前。大好きだし、超幸せ。マモちゃん優しいし。だけど。マモちゃんは、テルコのことが好きじゃない・・・。ーー

 

 

 

わたしはぶっちゃけ、わたしには恋愛しかないんですみたいなのを誇りに思ってるような女の子(性別を限定するのはよくないけれど、同性として…)がかなり苦手というか軽蔑すらしてる節がある。なんでもかんでも異性を主軸に考えやがってあんたに主体性はないのか、恋愛にヘラってる自分に酔うなよ、と。ついでに言うとそういう、恋に恋してますみたいな子に限って転職活動みたいに、なんならもっと軽いノリ、今日の晩御飯どうしようみたいなノリで恋愛できちゃう子が多いのなんなんだよ。それってその人のことが好きなんじゃなくて恋愛に付随する感情の高まりとか性的なことが好きなだけなんちゃうんか。

 

……だいぶ毒吐いちゃった。ごめんなさい。概念として好きじゃないだけで実在の人物としてわたしと関わってくれる一人一人は全然好きです。

 

とまあこんな感じだから、テルコのことも理解不能な恋愛脳キャラやと最初は思いながら見てたし、「あんたたまにゾッとするほど頭の悪いこと言うよね」って言うようこちゃん側の人間だと思って安心して見てたんだよ。見てたんだけども。

 

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テルコは別に恋愛が好きなのでも異性が好きなのでもマモちゃんのことを好きな自分が好きなのでもなく、ただひたすらにマモちゃんが好きで、執着してて。

好き過ぎて、もう最終的には自分に完全に嘘をついてまでマモちゃんの近くにいられる方法をとる。だからさっき書いてたようなわたしが軽蔑してるタイプの女の子とは違うんだよね。

 

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テルコの行動は理解不能だけど、いっこいっこ見ていくと妙に既視感のある行動も多いというか、ああ自分からはもう何も行動起こせなくなっちゃうよねとか空回りな尽くし方しちゃうとことか自分のせいで相手をダメにしてしまっているのではみたいに他人からは思われても仕方ないような関わり方とか好きな人の好きな人のこと脳内でディスっちゃってでも嫌いにもなりきれなくて後からものすごい自己嫌悪に陥るとことか、あ゛ー、あ゛ーーーって。

 

 

ーーダメでかっこよくないところも、全部を好きだと思ってしまったら、嫌いになることなんてたぶん、永遠に、ない。ーー

 

 

わたしはテルコほどに好きな人に執着したことってきっとないし、常に恋愛を第一優先にするような恋愛はしんど過ぎて絶対したくないのだけれど、何かが違っていたらテルコになりかねないのかもしれない。なんて思った。いやさすがにないか。でもわたしも、テルコとはベクトルさえ違えど、一度好きと思った人を(好きが薄れることはあったとしても)嫌いになることなんてたぶん永遠になくて、どれだけクソみたいな面を知ってしまっても酷いこと言われたりされたりしても、好きでいつづけられてしまうような人間なんだよな。

 

 

…めちゃくちゃ非合理的なメンヘラじゃん、そしていっつも自分からは好きって言えない自己完結人間じゃん、わたしが普段メンヘラって馬鹿にしてるような恋愛体質な女の子の方がよっぽど冷静で合理的で生物としても正しくって、もしかしたら相手に対しても自分に対しても誠実なんじゃん。

 

なんだこれ。

 

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同時にわたしはマモちゃんやようこちゃん的なクズ要素も多少なりともあるのかもしれないなというか。さすがに自分に好意を寄せてくれる人を都合のいい存在として扱うことはわたしの人権意識が許さないけれど、例え自分は何も返せなくてもその好意に甘えてしまって、その人からの好意に歪んだ依存みたいなものすらもってしまうの、昔を振り返ると身に覚えがないこともなくて…。そんでまた自分から離れていってほしくない気持ちと、でもそれってなんて不誠実で身勝手なんだろっていう自己嫌悪で勝手に苦しくなる。そしてこれもまた相手に何か伝えたりできるでもなく、自己完結なんだよね。…好きになったりなられたりする度に自分のこと嫌いになってんな。笑

 

そしてマモちゃんの憧れるすみれさんのような女の人にはいちばんなりたくてもなれないんだよな。誰にも何にも気を遣わないのに、かっこよくて面白くて好かれる人。あったまきた!わたしにいまできることはパスタを作ることだ!って言いながらわたしも怒らせた相手にパスタ作りたいよ。

 

 

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愛がなんだ、恋がなんだって考えるたびに最終的に人間も単性生殖できるようになればいいのに、あらゆる人間から性欲とかなくなればいいのにと思うことすらあるけれど、恋愛感情とかそれ自体はまあ素敵なもので、でもそこからちゃんと相手と向き合って男女の関係以上の人間同士の関わり合いになれたところに、冒頭に書いた恋愛感情故のパワーバランスとかもなくなったところに、尊い愛ってあると思うというのが25年生きてきた正直な所感。

 

 

久々に複数日にまたがって文章書いたのに全然上手くまとまらないけど。笑

後輩の男の子も映画見て胸にグッときました…って言ってたから今度会ったときにでも詳しく感想を聞こう。これ他の人が、特に男の人が見たら何を思うのか気になる。反省する人には刺さる映画、という言葉も見かけてめっちゃわかると思ったし、なんなら刺さらなかったタイプの人の感想も聞きたいな。。

 

あとどうでもいいけどその後輩が主演の岸井ゆきののことジャズ研の男は全員好きって言ってたのふふってなったしわたしも例に漏れず好きです。岸井ゆきのの顔になりて〜。

 

 

めっちゃ長文になってしもた。風邪悪化してきてるし寝よう。おやすみなさい。

なりたいとしたいの話

素敵なことをしている広告代理店のソリューション事例集を見て、久々に心が躍る感覚を味わった。いいな。

 

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自分のやりたいことって昔からずっとふわふわしているけれど、どちらかというと自分がガンガン前に出るのではなく、何かを支える側の仕事をしたいなとぼんやり思っていた。

そんでまあ、学問的な興味と相まって、臨床心理士とかそういう対人援助の道に進みたいなと思ってたこともあったけど、同時にそれって本当は"なりたい"だけで"したい"ではないんじゃないかな、と心の中で感じてもいた。だから親に大学院進学を反対されてもスッと諦められたんだと思う。じゃあわたしにとって"なりたい"じゃなくって"したい"ことって何なんだろう。大学に進学するときはしたい学問なんてポジティブな意味以外で迷わずにいられたのに、そういう学問を活かせてなおかつ"人を支える仕事"の究極形の一つであるはずの臨床心理士はわたしのしたいことではなかった、多分。適職診断みたいなのをするとカウンセラー関連は大抵上位に出てくるし、わたしの性格的な強みを考えたときに辻褄が合うことも多いのだけど、わたしの中の誰かが絶対にしんどいからやめておけって言う。

 

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就職活動の何が嫌だったって、キラキラした志望動機や自己PRを通して、どんどん自分のことが分からなくなっていくことだった。多分わたしはこんなブログを書いてるくらいだからどちらかといえば内省的な方だと思うし、思春期に入る前から自分の(主によくない)ことをネチネチネチネチ考え過ぎて疲れてしまいがちだったから自己分析なんて今更…って思っていたのだけど、そんな人間でも分からなくなった(そんな人間だからこそなのかもしれんけど)。

 

少し背伸びした状態で紡ぐ自分の考えというのは"なりたい"ベースでばかり考えていたから"したい"ベースの現実の自分とはどんどん離れていって、それでも現実の自分はちゃんといるから、違和感がどんどん増幅していって。加えてわたしの根拠のない無力感まで邪魔をして、そりゃ上手くいかないよなぁ。きっとちゃんとした人はここをちゃんと繋げられるんだと思う。

 

まあわたしはめちゃくちゃ運が良かったから、"なりたい"はあんまり叶えられなくともわたしの"したい"が叶えられる会社でわりと"したい"仕事をできているし結果オーライなんだけども。

 

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3年ちょっと働いてやっと分かってきたのは、わたしがしたい「支える」っていうのはどちらかといえば自分が導く側であったり自分よりも弱っている(語弊があるかもだけれど)ような自分を頼ってくれる人を引っ張ってあげたりすることではなくて(こういうのも好きではあるんだけど、精神的な体力をひどく消耗してしまう)、頑張ってる人が頑張りたいことを形にするためのお手伝いをする、みたいなことなんだなあと。それでいてできればある程度自分の裁量でできて、ほどよく頭や感性を使って、数字で結果が表れる部分もあって、人間関係としてはさっぱりしてても同じ熱量で目標に向かえる人たちと役割分担してできる仕事。精神的に疲れてしまわない、ずっと人と喋るスイッチを入れ続ける仕事でもなければずっと一人で作業するわけでもない仕事。昔から心の奥では分かってたはずなのに、妙な自意識やプライドなんかが邪魔をしてちゃんと気付くのに時間かかっちゃった。

 

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進路に関わる仕事をしているけれど、将来の夢って聞かれたら職業名で答える子どもが多いみたいに、どうしても"なりたい"ベースでそういうことが語られがちなのって、分かりやすいしモチベーションにも繋がるからいいことでもあるけれどなんとなくモヤモヤすることもある。わたしみたいな意識の低い人間がもっと等身大で考えてそれを堂々と志望理由として語っても許される世の中になってほしいな、なんて。

 

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ところで冒頭の広告代理店の話に戻るけど、クライアントの志みたいなものを目に見える形に落としていってその魅力を伝える仕事ってめちゃくちゃ素敵だし楽しそうやんと思ってドキドキして。これはキラキラした業界でバリバリにクリエーティブに働く人間に"なりたい"気持ちから来てるのではなくって純粋に"したい"気持ちから来てるような気がして、ちょっとキャリア採用情報とか覗いちゃったのだけど、仕事環境的な面での"したい"は今いる環境でかなり満たされているんだよな、やっぱりこれは"なりたい"だけなんじゃないのかな、とそっと閉まった。今の会社でもそういうことってできる気がするしな。

 

 

 

自分のためのメモ書きだったけどめちゃくちゃ長くなっちゃった。THEアラサー女子っ感じだ。おしまい。

0522

自分一人の時間ってやっぱり大切だな。一人の時間がないと結構つらい、他人と一緒にいること自体が苦痛というわけではなくて他人と一緒にいられる自分でいるためにも一人の時間が欲しい。

 

一人で誰にも気兼ねなく本読んだり映画見たり音楽聴いたり写真撮りに出掛けたりして、色んなことに思いを巡らせてたまに泣いてみたりもして、ゆっくり美味しいものを食べて、そして一人でいるときに見つけた素敵なものを共有したいなって思える人たちのことを少し考えたりする、そんな時間がもう少し必要という感じ。

 

幸い昔のように帰り道人と別れたあと「やっと一人になれた〜」なんてホッとするような現象はだいぶ無くなってきたしいま仲良くしてる人たちはもう少し一緒にいたいなって自然と思える人たちばかりなんだけど、もっと肯定的な意味で、積極的に自分の心を休ませなければ。。

 

 

見るからにアッパーミドル層みたいな人生の勝者っぽい人がたくさんいる江坂のカフェでこんなこと思いながらのんびりしてたらもうすぐ人との待ち合わせの時間だ〜。久々の人と会えるのはすごく嬉しいけれど、同時に正直緊張もしてしまうな。いってきます。

雑記

天気の悪い日はどうにも気分が落ち込む。

 

10連休は最高だけど、正直仕事に関して最近はしんどいなりに自分の行動が目に見える形で結果に現れたりそれを自分が思ってるよりも評価してもらえたりするのが結構嬉しくて、自分が自分であることへのしんどさとか昔からずっとこびりついて取れなかった劣等感みたいなものを少し忘れられる気がしてるから、慌ただしい日常がほんの少し恋しかったりもする。働いてれば学生の頃みたいな慢性的なつらさを感じなくて済むからね。

 

働き方改革の時代にこんなワーカホリックじみたことを言うの恥ずかしいなとか仕事しんどい人もいっぱいいる中で嫌味になっちゃうかなとか、職業に貴賎はないけれど自分のやってる仕事ってそもそも究極的に言ってしまえば別になくても世界は回るし大きな仕事とか人の生活に欠かせない仕事してる人からしたらちっぽけなことでそんな大げさなみたいに馬鹿にされそうとか甘ったれた環境で何言っとんねんって思われそうとか思っちゃうし、なかなか人に言えないけれど。わたしは何に怯えているんだろうね。この場合自分を蔑むことは一緒に働いてる好きな人たちとか自分をよく言ってくれる人たちとか、そういうわたしが守りたい人たちのことまで蔑んでしまうことに繋がるのに。情けな。

 

話が逸れたけどだからまあなんというか、過去のこととはいえ本来は癒される場であるはずの関係の中でゴリゴリに自己肯定感削られてたこともあった身からしたら"お仕事やめてお嫁さんになりたい"みたいな前提に基づいた会話に全然共感できなくなってきちゃって、でもそれってたまたまちょっとした境遇の違いなだけでどちらが正しいとかなんて一切ないのに、そこにいやそれミソジニーとほぼ同意じゃんみたいな歪んだフェミニズムに近しい感情すら少し覚えてしまう自分にゾッとして、あ〜やってられないなあとなる。

 

 

気分が落ち込んでると一文がやたら長くなるな。特にヤマもオチもないひとりごとなので許して。

 

 

今日はもうどこにも出かけられなさそうだし、ホットケーキでも焼いて食べよう。意味わかんないことで自分を自分で叩くのは平成で終わりにしたい。

 

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というのが平成の終わる少し前に書いてすぐ下書きに戻してた日記、今はなんだか、なんであんなに沈んでたのか分からなくなっちゃった。大抵の憂鬱はきちんと寝れば忘れてしまう年になったものだな。そしてホットケーキは焼けなかったな。

 

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わたしが普段怯えたり戦おうとしたりしてるものってたぶんもうほとんど概念の中にしか残ってなくって、だからあとはわたし自身がどれだけ他人のことを信用できる強さや余裕を持てるかなんだろうな。他人は変えられないというけれど、変わってくれた他人も近くにいるんだから、それを信じてあげられるように自分が変わらなきゃな。なかなか難しいけどねぇ。

 

 他人に期待をしない、っていうのはわたしの強みでもあると思うし、それ故に傷付かずにいられたり人に優しく大らかでいられたりしている部分もあるから一概に悪いとは言えないけれど、もう少し人間らしくわがままに生きてもいいのかなと思う。それが人から見たらどうかは知らんが自分のために。

 

改元早々お腹痛いな〜となりながら書いた雑記。なりたい自分なんて口で言うのは簡単だけど実際行動に移すのは難しいのは嫌ほど分かってるけどちょっとずつでも楽に生きられる方向に仕向けていくぞ〜

young adultの終わりに

少女邂逅を観てきた。

いじめられっ子だったミユリが転校生のツムギと出会って救われて、ミユリはツムギのことを神様のように慕って一緒に過ごし、そのうち2人で誰にも内緒で沖縄に行こうとするんだけど、、といったお話。ほんとはもっとヘビーで暗いのだけど。

 

妙にリアルだなっていうか、若い女性の監督(あんまり若いからどうとか女性だからどうとかは普段考えないのだけれど、これについてはそう思わざるを得なかった)だからこそ描けたんだろうなって思ったのが、新たに仲良くなった女子3人も交えて喫茶店でテスト勉強してるシーン。

ミユリは?(恋愛に関して)なんかないの!?って言われて曖昧に答えを濁すものの、えっどんな人!?って聞かれてツムギの特徴を答えるミユリ。そこにツムギが戻ってきて、ミユリは話題を変えようとするも恋バナは終わらず、その矛先はツムギへ。

「ツムギは彼氏いるの?」「いないよ」「えーっ絶対いると思ってた!」「じゃあ、したことはある?」「あるよ」

そのときのミユリの少し寂しそうな顔、それは別にツムギを恋愛対象として見てるからとかそういうことではなくって、経験のあるツムギがすごく遠い存在に感じてしまうような感覚、自分の知らないツムギの存在を知ってしまったさみしさとか、そんな知らない姿を誰かに見せているツムギへの嫌悪感ともいえる何かとか、そんな気持ち。

そこからツムギがやけに遅刻してきたり、知らない男と歩いてる写真を元いじめっ子に見せられたりで、私生活が不透明でつかみどころがなさすぎるツムギになんとなく距離を感じていってしまうミユリ。

ミユリがその後夏休みに(きっとツムギの不透明な部分を追いたくて)出会い系で男と会って、「こんなもんか」と呟くとこまで含めて、そのあたりの描写が見事だった。多分この感覚は思春期の少女特有な気がするし、その感じを味わってないと描けないよなあと。

 

大人になって見たからこそそういうものを俯瞰的に見られて、より広い意味で捉えられたような気もする。そしてツムギ役のモトーラがアンニュイで雰囲気があってとにかくかわいい。

 

 

Janne Da Arcが解散するらしい。

有名な曲しか知らないし、だからどうというわけでも特にないのだけれど。

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久々にJanneのDOLLSを聴いて、中学の頃一時期よく一緒にいたバンギャの女の子のことをふと思い出す。中学2年生の好奇心を行動に移しまくってたような子で、いつもわたしは「まじか〜」とばっかり相槌を打ってた気がする。なんかもう逆に上に書いたミユリのような心情は感じなかったけれど。今何してるんだろ。元気かな。 

久々に会えたら何を話そうか。大人になってから、お互いに大人になった状態で会ってみたい人がいるなってことを、最近よく思う。

 

 

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新しい元号が発表されて、なんかみんなの反応含めていいですねって、久々にニュースで明るい気分になって、平成の終わりを青春の終わりになぞらえてどこか悲観的になる必要はないのかもって思えたエイプリルフールだな。

 

"young adult" usually means someone whose between the ages of 17 and 25.

という文章を見てあ〜ね、ってなったけど、ヤングじゃなくなってもユースが終わってもそれは別に悲しいことでは全くない。

 

新しい時代が始まるのは思ってたよりもわくわくするし、令和に入ってきっとわたしは若者から大人になっていくけれど、それはきっとそんな悪いことではない。そんな日。