雑記

ニヤニヤ泣いている

覚え書き

仕事で色々関わってくるし大学入試改革とかのこと色々調べててなんとなく思ったことの覚え書き。文章にする気力はないので箇条書きで。(誰に向かって言っているんだろう?)

 

・高校生の頃、胡散臭い教材の電話営業に「受験はヤマを張らなきゃ。今年のセンター古文は多分源氏物語が出る、ってなったら源氏物語を中心に勉強するべき」って言われて納得いかなかった。勉強ってそういうもんじゃないだろと思ってた。

 

・あと、未だに、センターはセンター用の対策が必要でそれとは別途各大学の対策も必要っていうのがよくわからん。(実技が必要な大学とかは置いといて)いや、問題文のレベルの違いとか、古文・漢文の有無とか、記述の対策とか、分かるけど、分かるけども。でもある程度高いレベルを目指して勉強して学力そのものを上げてれば、どちらもカバーできるんじゃないのかなって思ってた。(単に要領が悪かっただけか?)

 

・だから小手先の受験テクニックとか、そういうのはわたしはあんまり好きじゃなかった。なんやかんやで王道の勉強法が一番効率いいと思う(思いたい)し。こういうアレが現行の入試制度への偏見?のようなものを助長させてるんじゃないのかなあとはちょっとだけ思う。

 

※ただ、苦手な科目に関しては覚え方や考え方のテクニック(これを小手先の、と呼ぶかは個々人の価値観によるのだと思う)を外部から与えてもらうだけで一気に道がひらけたりもしたから、単に好き嫌いの問題かなと思う。それで救われる人がいるからこそこういう分野が栄えてるんだろうし、好きじゃないだけで否定はしていない。

 

・受験勉強始めたての頃は、何かにつけてとにかく「こんなのは無駄」「こんな単語の羅列に何の意味があるんだ」とうそぶいていた。だけど不思議と、勉強を進めてレベルアップを実感しだした頃に、ほんとに無駄なことって少ないんじゃないのかなって思うようになった。各科目は独立しているように見えてどこかで繋がってるし、一見関係ないように見えるものによってある事柄の理解が助けられることは多々あった。勘弁してくれ!と思ってた年号の暗記ですら、歴史そのものを理解していくための足がかりにはなった。だから(私大文系志望だったし苦手で嫌いだったのでロクに勉強してなかったけど)数学とか理科ももっときちんとやれば見える世界は広がってたのかなとは後悔している。

一般受験なんてしてなけりゃあれほど(当社比)の勉強をすることはなかったし、あの一年でした勉強は(覚えてないことだって多々あるけども、自分に合った勉強法の確立だったり、メンタル的な面も含めて)確かに今のわたしに繋がっていると思う。まあ、受験がなけりゃこんなに勉強しないっていうのがそもそもおかしいのだろうけども…

 

・大した成績じゃなかったわたしが言うことではないのだろうけども。上に書いたような、物事が繫がる瞬間の面白さ、みたいなものは、ある程度知識を蓄えるために勉強していかないと感じられなかった。ある程度のステージに至ったところで、もう少し高い場所から視野広く物事を見渡せるようになったというか。

 

・現代は情報にアクセスしやすくなったから、知識の持つ価値というのが以前よりも下がった、というのはまあ分かる。だけど、ある程度の知識がないと欲しい情報にアクセスできないっていうのはあるんじゃないかな。今日もインターネット上ではリテラシーの低い人たちがたくさん釣られていることだよ…

人間は言葉で思考する生き物だから、語彙の数だけ自分の感情の認識は豊かになる。それと同じように、基盤となる知識があればあるほど豊かな発想や思考回路が生まれやすくなるんじゃないかと思うし、他者の考えも飲み込みやすくなると感じる。

 

・だから、現行の試験は知識偏重型というけれどそれはそこまで悪いことなのか?と思う。もちろん知識があるだけでは駄目でそれを活用出来なければ意味がないとは思ってるし、たまにそんなこと聞いて意味あんのかよって問題もなきにしもあらずだけれども(山川の世界史用語集を隅から隅まで読まないと解けなかった某私大とか)。でも思考力や表現力っていうのは知識という土台の上に成り立ってる部分はあると思う。

 

・あと、そもそも今の試験って実際そんなに知識偏重型じゃなくないか?特に上位の大学は普通に思考力いるし、センターだってある程度必要とされるよね?現行入試での強者=上位大学合格者=知識偏重型エリート、みたいな暗黙の図式が成り立ってる感があるけども実際に"知識偏重型"がいるとすれば中の中〜上の下くらいにあたる受験生だと思う。知識はあるからある程度の問題は解けるけど、それ以上のことは無理だから上位の大学には受からないっていう。定期テストの点は取れるけど実力問題になると駄目、って子もこの層に入るのかも。ちなみに塾講してたころは勉強の苦手な子にはせめて定期テストで点を取って内申点を上げられるように、一番の近道として、不本意ながらもひたすら暗記な指導をしてたこともあった。

知識偏重型だなあという試験もあるっちゃあるけれど、それはある程度のレベル以下の私立大学とかが受験生に敬遠されるのを避けてか英語の長文とかでも文法知識だけで解ける問題を多めに出してくる傾向がある、っていうのだと思う…

 

・ちょっとズレたけども、ハイレベルな大学では今でも(知識があるのは前提として)思考力のある学生をとれているはず。そうでない大学でも、ある程度のレベルまでならば、現行の入り口の部分で知的な活動の基盤となる知識やそれを蓄えるための頭脳体力?みたいなものがある程度担保された学生がとれるわけなんだからその後の大学生活で思考力なり表現力なり主体性なりをガンガン鍛え上げていけばいいと思う。あと大学の卒業要件は厳しくしてもいい。わたしは自分にゲロクソ甘いのでそれなりに志高く入ったはずなのに文系大学というレジャーランド的環境の中でかなり堕落してしまいました。在学中にもっと勉強しなきゃいけなくなったらきっと今嘆かれてることって多少はマシになると思うの、入り口部分を変えるよりもずっと。それともわたしのような人間をふるいおとすための改革なのかな。それならしょうがないな。

 

・あと内申書も重視するみたいなのね、あれね、そういう方式も用意するってだけなら全然いいけどそれがスタンダードになるのはちょっと嫌だな。結局機会の差がそのまま結果の差となるというか、英語の民間試験活用と併せて、格差をさらにおし拡げてしまう気がする。

 

・でもわたしがこうやって反対してるのは、新しい制度では自分は多分落ちこぼれるだろうっていう劣等感?からなのかな。きっと卒業した大学には入れんもんな。教人のひねくれた先生なら拾ってくれたかな。まあ今後大学を受けることはないだろうし関係ないけれど。

 

・でも高校入試のときの「内申のために挙手したり委員会やったりする」っていう風潮に辟易してた身からしたら、今後大学入試のためにボランティアやったり部活やったりするやつらがスタンダードになったりするんかなって思うと反吐がでる思い。純粋な動機からそういう活動をして、結果として大学入試における高評価があるのなら理想的だけれど、そうじゃなくなっていく気がしてならなくて。やらない善よりやる偽善だけど、拭えない"そうじゃなくない…?"感。これに関しても冒頭に書いたような小手先テクニックとか出てきたらめっちゃ嫌だ、そんなの器用なもん勝ちじゃんって。うーん。潔癖症すぎなのかな。わからん。単にこれも好き嫌いの問題なのかもしれないけど。

 

・少なくとも人材の多様性を担保したいのであれば学力だけで入ってくる方式も残しとくべきだと思う。高校では教師に気に入られにくくても大学でなら輝ける尖った子は絶対にたくさんいる。

 

・数年前にG型大学、L型大学の炎上問題があったけどあれはどうなったんだろ。まあ言いたいことはわからんくもないけどそれならポリテクとか専門学校とか工業・商業・農業高校の地位をもっと上げればいいのに。

あと大学で実学をやれ、ってのと 先行きが不透明な世界だから知識偏重型試験はやめろって矛盾してるよね。すぐに役に立つことはすぐに役に立たなくなるかもしれないからこそ幅広い教養とか物事をあらゆる角度から見られる姿勢とか色々な方法論とかを身につけさせるべきでしょうに。そもそも大学は社会に人材を送り出すための教育機関である前に学問をするための研究機関だと思ってるけど。

 

 

書きたいことばーっと書いたらなかなかの分量になってしまった。誰が読むねん。まあ自分の為の覚え書き。おやすみなさい。

 

近眼のゾンビ

ネットで炎上案件が起こるたびにハルカトミユキの近眼のゾンビが頭の中で無限ループする

 

 

Twitterのことずっと好きだったけど最近はそうでもない。なんだかTwitterの世論と自分の感覚がだんだんズレてきた。意見の相違をそのまま好き嫌いに置き換えてしまうのは幼稚なことだと思うけど。

 

わたしはどちらかといえば、表現の自由には寛容で、エログロナンセンスなんでもええよ〜な人間です。それに、フィクションの中で描かれる事象を批判することとフィクションそのものやその製作者を批判することは全くの別物だと思ってます。新井浩史の牛乳石鹸のCMとか完全に擁護側だったよ。

 

だけど、だけどさ、当事者の痛がってる声に対して、それは逆差別だとかそんなことを言い出したら面白くなくなるとか、言ったら駄目でしょ。それはいじめっ子の理論でしょうが。ただ差別だと騒ぎたい第三者の集団が必要以上に騒いでいるだけのように見えたのならまだ分かる、わたしもカテゴリーによってはそういう人たちのことは非難の目で見てしまうことも正直ある。だけど、実際に傷付いた人を目の前にして自分の正論(?)を投げつける人間の多さにびっくりしてしまった。

 

分かったようなフリをして偉そうなことを言いまくる人間が多過ぎるしわたしもその一人だということが嫌だな。

 

 

僕の短所をジョークにしても眉をひそめないで、ってそれだけなら眉をひそめないけど僕の短所によって他人を傷つけたという事実があればその事実に対しては眉をひそめるし笑って許してもらおうとするなよ。

 

最後完全にキリンジへのとばっちりだけどエイリアンズはめっちゃくちゃ名曲なので大好きです。おわり

雑感

・インスタ映えって言葉にもにょもにょする。

より正確に言えば、インスタ映えを馬鹿にする風潮にどこか窮屈さを感じる。

綺麗な写真を撮るって趣味として成り立つことだと思うし、自分の撮ったものって誰かに見てもらいたいし、あわよくば賞賛されたいって欲は別に普通じゃないのか。インスタ映えを最優先させた結果人に迷惑をかけたりモノを粗末にしてしまってる人たちのことは一先ず置いておいて、一般的なインスタグラマーを過剰に叩く必要はあるのか。それで経済も回ってるんやし別にいいのでは…。

まあそうは言っても集客の為に「インスタ映え」って言葉を使うのはわたしが集客する側なら謎のプライドが許さないと思う。それは目的ではなく結果であってほしいし、百歩譲って目的とするにしても手段にはしてほしくないし、手段にするのであれば言葉にしたらあかん概念やろ、とも思う。うん。だってそんな言葉で釣られるの馬鹿にされてる感が半端なくないですか。お前らどうせこういうの好きだろ〜みたいな。

承認欲求の塊の人間のことはわたしも散々馬鹿にしてきたけどそれはきっと同族嫌悪からきてたんですわ。自意識でがんじがらめになって目糞鼻糞を笑う状態に陥ってるよりも、馬鹿みたいな顔して自分の欲求に素直になったほうがまだマシだしダサくないやろって思います。わたしはこれからもインスタ映えする可愛い飲食物が好きだしツイッター映えする適度な不運や恥ずかしエピソードに見舞われたらここぞとばかりに呟いてしまうよきっと。くだらないなんて分かっているけれど。

 

 

・おかずクラブのオカリナがテレビで「告白なんてしたことがない。みんなすごい」「(好きって気持ちをどう処理してるの?と聞かれ)好きじゃなくなるまで好きで…」って言っていたらしくってめちゃくちゃ共感した。別に恋愛に限らずあらゆることが私にとってはそうで、なんとなく自己処理して自然に消えていくのを待つだけだ。拒絶されるのが怖いっていうのもあるのだろうけどそもそも自分の欲望が実現されることを強く望んでない、自分の欲望には実現させたいと願うほどの価値はないと考えてしまっているのだと思う。オカリナもそうだったのかな。笑うシーンだったみたいだけど、なんだか色々考えてしまうな。

 

.

謎の二本立てみたいになってしまった。

今日も有給です。最高か。

23才の夏休みも終わってしまった僕らは

24才になった。

 

"◯◯才になったら、今度こそこうしよう"って毎年思い続けてはや24年。それもだんだんどうでもよくなって、ひとつ年をとったからどうにかなれるなんてことはなくただ24才になったいつものわたしがいるとしか思わなくなった。

 

23才のスタートは結構ドン底で、自分はどうしてこんなに頭が悪いのだろう、人に気が使えないのだろう、社会不適合なのだろう…って本気で思っていて、仕事がしんどかったな〜っていうのを覚えている。まあそれから1年、曲がりなりにも労働に対する精神状態の前向きな変化や不文律的な地位の向上もあって、結構頑張った方なのではないでしょうか、わたしとしては。

 

とはいっても24才になったところで変わらず昼夜の滅茶苦茶な生活を送ってしまってるし、無意味なネトストはやめられないし、思い込みは変に激しいし、何年も前のことをほじくり返しては勝手に落ち込んでしまうし、思春期の頃から変われていない部分も多々あるなあ。アラサーになっても四十路になってもおばあちゃんになっても陰湿ネットサーファーやってんのかな。更年期もくるだろうし、ゾッとするな。

 

.

 

本来の意味で山無しオチ無し意味無しの文章だ。最近は結構ずっと元気なのでブログが書けません。クリエイティブなんて大それた言葉を使うのは憚られるけど、負の原動力がないときに何かを生み出すのは素人のわたしには難しいようです。

 

まあ24才になった記念に。四捨五入したらギリギリハタチ、気を張らず適当に生きてくぞ。

The seventh night of July

どうやら今日は七夕らしい。

 

中学高校と吹奏楽部員だった身としては、この曲を思い出す。

 

酒井格のたなばたは、たしか高校1年生のときにお隣の高校と合同で演奏したんだっけ。

その高校にはトランペットがとっても上手いギャルの先輩がいて、いつも惚れ惚れしていたのを覚えている。

 

"ホムペ" 文化最盛期だった当時、ギャルの先輩のホムペも見つけて、"リアル"も読ませてもらったことがあった。

ある日の投稿に「こっちがどれだけ努力をしているのかも考えずに、あなたに吹けない人の気持ちは分からないなんて言わないでほしい」みたいな内容が書いてあって、それはお話ししたこともない方の、ごくごく私的なつぶやきだったのだけれど、なんだか後頭部を殴られたような気持ちになったなあ。

 

別に楽器に限らず自分よりも上手くいってる人がしてきた努力を蔑ろにしてしまい、まるで初めから結果があったかのように思ってしまうの、わたしの悪い癖なんだと思う。今ならそんな思考回路がいかに愚かかよく分かるよ。

 

 

どうでもいい話だけれど、その高校の定期演奏会にいった日に自身のブログでギャルの先輩が素敵だった旨を書いたらご本人からコメントをいただいてビビり倒したことがあった。インターネット怖い。と言いつつまたブログに書いてしまってるね。すみません。

 

明日は久しぶりに高校時代の部活の先輩に会えるのでなんとなくいろんな事が懐かしくなったとさ。家帰って床で寝て残り物のカレー食ってのロマンチックのかけらもない七夕の夜だったけれど、織姫と彦星は逢えてるとよいですね。おやすみなさい。

イチゴのミルクセーキと精神論の話

就職するちょっと前くらいに始めたボールペン字の通信講座の受講期限が迫っているらしく、「追加でお金を払って期限延長して、ちゃんと修了しましょう!」という内容の案内が届いていた。ご丁寧に"至急開封してください"のハンコ付きで。

「諦めないでください」「もう一度私達と頑張りましょう」ーー優しい口調の文章に、自分の悪いところをまざまざと見せられているような気がしてしんどくなる。とりあえず開封したけれど、きっと入金期限が過ぎるのを待って、それからそっと捨てるのでしょう。わたしは、そういう人間だ。

 

 

以前仕事で一緒になった主婦の方と、「通信教育をきちんと出来るような子は通信教育がなくてもきっと結果が出せますよね」という話をした。通信教育のパラドックス

わたしは完全に通信教育が向いていない側の人間(向いている向いていないというか、単にだらしない人間だ、というだけなんだけど)で、◯会を溜めに溜めてやめてしまった。積み上がっていく教材の山は、自分の駄目人間さのバロメーターのような気がしてしんどかった。

 

その後わりとオラオラ体育会系の塾に通うことになったのだけど、1日20分で済む通信教育よりも、夏休みに毎日部活の合間に通う夏期講習の方が、必勝ハチマキを頭に巻きながら毎朝叫ばされる夏合宿の方が、ずっと楽だった。自分の駄目さを直視しなくて済むから。自分がちゃんと頑張っている側の人間であるような感覚を味わえるから。数学分かんねえな〜と言いながらそれなりに頑張った(気になれた)授業終わりに飲む、自販機で買うイチゴのミルクセーキが美味しかった。

 


まあ事実塾の授業はクオリティが高くて面白かったし、先生たちの事もとても信頼していたし、塾自体は精神論オンリーの場所では決してなかったと断言できる。でも、もしこれが精神論だけの場所だったとしても、自分の怠惰さをごまかすためにとりあえず分かりやすくしんどい思いを出来る場所に安住してしまうっていうのはあるかもしれないな。普段はそれを忌み嫌ってるかのごとく振舞っているけれど、案外わたしは昔ながらのブラック企業のような思考と親和性が高いのかもなあ、なんて考えたりもする。そういう場所とは程遠い職場で働けている故の思い上がりだとも思うし、幸い(?)「辛い思いをしただけで報われると考えるのは甘い」というのを身を以て経験してきたから冷静な判断を下すことも出来るけれど。

 

自分の無能さを隠すのに根性論は都合がいい。とりあえず、がむしゃらに努力してる錯覚に陥ることが出来ればいいのだから。汗をかいて泥臭く頑張っていることが免罪符になる世界は、みんなが共通のしんどさを味わって一体感を得られた気になれるような場所は、ある意味ではとても優しいのだろう。

 

 

ところで就職活動をしてた頃に、わたしが昔溜めに溜めてやめた◯会の選考を受けたことがあった。グループワークをしてるときに「通信教育ってなかなか続かないですよね」なんて話になったのだけど、その中の一人が「信じられない、わたしは◯会が楽しくてしょうがなかった」と言っていた。わたしがどんなに努力ごっこをしても届かないような大学の子だった。ああ、わたしはこの子には一生勝てないんだろうな。その選考がどうこう、就活がどうこう、学歴がどうこうという直接的な話ではなく、もっと根本的な部分で。純粋に好き、楽しいという気持ちで夢中になれる人間に、わたしのような努力してるフリをするのが好きなだけの人間が敵うわけはないのだと感じた。ちなみにその会社の選考に、わたしはあっさり落ちた。

 

.

 

余談だけれどある日塾内の自販機からジュース類が全て消えて、飲み物のラインナップがお茶と水だけになったことがあった。先生にこれどうしたんですか(笑)って聞いたら「うちの塾の生徒がイチゴのミルクセーキとか飲んでたら駄目でしょう、もっと硬派にいかないと」と言われたことがあって死ぬほどウケてしまった。どこまで本気か分からないので体育会系は怖い。クソ野郎のわたしはテスト前には近くのコンビニでゲロ甘い飲み物を買って自習室にこもるようになった。

 

さて、ボールペン字講座どうするかな〜。いっそスクーリングでスパルタ指導とかしてくれないかな、そしたらきっと通うから、イチゴのミルクセーキみたいな甘ったるい飲み物買いながら。ね。

ただの日記(あるいはハッピーハーブについて)

三度寝くらいして、昼過ぎに起きた。

気分があまりよくなかったけれど今日こそ美容院に行こうと決意していたのでエネルギーを振り絞って予約の電話をかけた。あとなんかムシャクシャしてたからキッチンの排水口の掃除をした。時間指定してた宅配便が来たけどヨレヨレの寝間着と寝起きのままの顔で受け取ってしまった。

 

ホルモンバランスのせいなんだろうけど昨日くらいからやけに気分が落ち込んだりイライラしたりしてしまう。先日聞いたあまりにも身勝手な他人の愚痴やそれをずるいやり方で間接的に説教してしまった自分やわたしが感銘を受けた大学の広告を引っ張り出してその大学のことを(何も知らないくせに)面白半分でディスっていた意識高い系大学生や床に落ちてる髪の毛や、とにかく全てのものに腹が立つ。そしてそんなことで腹が立つことに落ち込む。負のスパイラルだ。

 

人間の性格というものは固定されたものであり、また人間が落ち込むときには何か明確な原因があって落ち込むのだという錯覚を人はしてしまいがちだ。だから若者が自殺したってニュースで「◯◯くらいで死ぬなんて心が弱い」などと言われてしまうのだろう。

だけどほんの少しのホルモンバランスの崩れで人の性格なんて簡単に変わってしまうし、落ち込むときっていうのはわたしの感覚では例えるならお腹を下すのと一緒だ。たぶん何らかの短期的あるいは長期的な原因はあるのだろうけど何がきっかけになったのかはよくわからん、とにかく急にお腹痛くなってどうしよ〜しぬ〜トイレ〜〜みたいな。もちろん急に冷たいもの食べたから腹壊したとか、そういうね、パターンもありますけど、なんか分からんけど調子悪いわ〜って時のが少なくともわたしには多いんですわ。アイスとか辛いものとかガンガン食べちゃうけどそういうのはむしろ平気で。これ心にも同じことが言える。直接的っぽい原因にはたぶんわりと人並みには強いけどなんか知らんが調子悪いわ、ってことがちょいちょいある。厄介だな。

 

ところで先日メンタル系のサプリメントの存在を知った。ハッピーハーブで前向きに!みたいな明らかにヤバそうな謳い文句がついてるんだけど有名メーカーのものだしそんなヤバいものでもないのかな、心を外部から取り込む物質でどうにかするって怖いな〜と思うけどホルモンバランス一つで性格が変わってしまうのだしそれも合理的な方法なんだろうなと思った。500円というお手頃な値段だし、好奇心がめちゃくちゃ湧いてきてしまったので父の日の贈り物のついでにamazonで注文してみる。娘がこんなサプリメントをネットで頼んでるって知ったら父親は悲しむだろうか。まあでもとにかく、話の種になりそうだし、ブログのネタに使えそうだしってことで注文を確定させる。購入の動機が完全にYouTuberだ。ブンブンハローユーチューブ。

 

…というわけで今朝D◯Cさんのセントジョーンズワートが届いたんだけど、色々調べてると副作用が人によってはあったりするらしくて飲むのが怖くなってしまった。し、お洒落メンヘラ女はセントジョーンズワートが好きみたいな書き込みも見てちょっと抵抗も湧いてきた。

とりあえずこのあと美容院行くのに万が一体調悪くなったりしたらたまんねえなってことでサプリメントは飲まず重い身体を引きずって市バスに乗り込む。行きつけの美容院の、お馴染みの美容師さん(出身大学が一緒ということもあってずっと仲良く?してもらっている)とお話して、久々にパーマをかけてもらって、待ち時間に美味しいドライフルーツティーを飲みつつGINZAという雑誌で嘘みたいな本当の恋の話を読んで、帰り際に美容院の15周年記念のおせんべい(スタッフさんの似顔絵がプリントされているかなり食べにくい代物)を貰って、隣のショッピングモールでロレッタの可愛いヘアムースを買ったら気分はだいぶ明るくなった。

とりあえず今日は別にセントジョーンズワートはいらないや。わたしはYouTuberにはなれないな。

 

 

ブログを書いていたらこんな時間になってしまったけれどちょっとだけ綺麗になったキッチンでばんごはん作って食べて寝よう。明日もきっと落ち込むことはあるだろうけど無意味な憂鬱は仕事で洗い流していくぞ。

 

あ、最後に嘘みたいな恋の話を貼っておきます。

f:id:yco16g:20170618221217j:image

おやすみなさい。